大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所大法廷 昭和28年(オ)110号 判決

判決

東京都千代田区霞ヶ関二丁目一番地

上告人

高等海難審判庁長官増田一衛

右指定代理人

青 木 義 人

岡 本 元 夫

増 田 正 一

玉 屋 文 男

下関市大字彦島四二七番地の一

被上告人

林兼造船株式会社

右代表者代表取締役

中 部 文 次 郎

右訴訟代理人弁護士

小 林 明 政

右当事者間の裁決取消請求事件について、東京高等裁判所が昭和二七年一二月一六日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を決める旨上告の申立があり、被上告人は上告棄却を求めた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被上告人の訴を却下する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

理由

上告指定代理人藤井長治の上告理由第一点及び第二点について。

論旨は要するに、本件裁決は海難の原因を明らかにした裁決であつて行政処分たる性質を有するものではないから、その取消を求める本訴は不適法である旨を主張するに帰する。

本件は海難審判法五三条によつて出訴されたものである。同条は高等海難審判庁の裁決に対する訴につき、その管轄裁判所及び出訴期間を定めているけれども、高等海難審判庁の如何なる裁決に対して訴を提起することができるかについては、何等の規定をも設けていない。それ故如何なる裁決について出訴できるかの問題は、行政訴訟の一般原則に従つて解決されなければならない。この点においては、右五三条による訴訟も行政事件訴訟特例法における原則の例外をなすものではない。(海難審判法施行の日が行政事件訴訟特例法のそれより前であるということは、この理にかかわりない。)ところで右特例法が広く行政庁の違法処分に対し取消変更を求める訴を規定しているのは、行政庁の処分が国民の権利義務に直接に関係し、違法な処分が国民の法律上の利益を侵すことがあるからであり、従つて行政庁の行為であつても、性質上かような効力をもたない行為は、右特例法にいわゆる行政庁の処分にあたらないと解すべきである。同様に、海難審判庁の裁決であつても、上述の効力をもたない裁決は、右にいう行政処分にあたらず、その取消を求める訴を提起することはできないものといわなければならない。

海難審判法四条によれば、海難審判庁の裁決には、海技従事者または水先人を懲戒する裁決、海難に関係のある者に勧告する裁決、海難の原因を明らかにする裁決があるが、これ等の中懲戒裁決は受審人の権利関係を形成する裁決であつて行政処分に該当することは疑がないけれども、その他の裁決が右特例法にいう行政処分にあたるかどうかは、これ等の裁決が上述のように国民の権利義務に直接に関係する効力を有するかどうかによつて判断されなければならないわけである。本件裁決の主文が、本件衝突は、被上告人の業務上の過失によつて発生したということを示す趣旨のものであることは、原判決の判示するとおりである。すなわちこの裁決は、上述の海難の原因を明らかにする裁決であつて、被上告人に何等かの義務を課しもしくはその権利行使を妨げるものでないことは、法律の規定及び裁決自体によつて明らかであり、被上告人の過失を確定する効力もないことは後述するとおりである。そうだとすれば、本件裁決は被上告人の権利義務に直接関係のない裁決であつて、これを行政処分と解することはできず、被上告人から出訴することは許されないものとしなければならない。原判決が本訴を適法とした理由の一は、海難に関する権威者からなる審判官によつて訴訟手続に類する慎重な手続のもとに下された本件裁決は、本件海難に関係のある損害賠償請求の訴訟事件等において、事実上尊重されるという点にある。しかし裁決の既判力等が他の訴訟事件に及ばないことは原判決も認めているのであつて、本件裁決が他の訴訟において重要な意味を持つといつても、一の証拠資料になるということだけのことであり、反証をあげて裁決の内容を争うことは少しも支障はなく、また裁判所も裁決と違つた事実認定をすることを少しも妨げられないのである。換言すれば、本件裁決は被上告人の過失について確定する効力を持たないのである。ことに本件裁決のように被上告人が審判手続に加わつていない場合には、被上告人を当事者とする他の訴訟事件の証拠としてもその価値はそれだけ低いものともいえるのである。一般に行政処分は、処分が法律上当然に無効でない以上、行政庁の職権によりまたは争訟手続により取り消されない限り、かりに違法であつても有効とされ、他の訴訟においてもその違法を主張できなくなる効力を持つ。しかるに海難原因を明らかにする裁決は、裁決によつて確定されるべき権利関係はなく、裁決に対し訴訟を提起しなくても、他の訴訟で裁決内容を争えなくなるものではないから、このことによつても、本件裁決が特例法にいう行政庁の処分にあたらないことは明らかである。原判決は、なお、その理由として、裁決を海難審判庁自ら撤回できないことを挙げているけれども、このことによつて裁決の実質的な効力が左右されるものではない。また、原判決は、被上告人の過失が裁決主文に記載されている事実をもあげているのであるが、裁決が事実上尊重されるということであれば、主文中に記載されていようと理由中に記載されていようとかわりはないはずである。海難審判法四六条が理事官及び受審人にのみ二審請求を許し、同法五三条四項が地方海難審判庁の裁決に対して裁判所に訴の提起を許さず、その結果地方海難審判庁が本件裁決のような裁決をした場合に、訴訟につながる途がないことも、以上の趣旨によつて理解し得ることである。もとより立法論としては、上述のように海難審判庁の審理手続が訴訟類似の手続をとり、その途の権威者によつて裁決されるものである以上、その裁決に対して何等かの確定力または裁判所に対する拘束力を与え、同時に受審人、理事官以外の者に二審請求をゆるすことも、あるいは望ましいといえるかも知れないが、それは立法政策の問題であつて、現行法の解釈としては、原判決のような解釈をとることはできない。論旨は理由があるものといわなければならない。

同第三点について。

論旨は、原判決が、本件裁決は被上告人に弁解の機会を与えず、被上告人に過失あることを主文の中に記載した点において、不告不理の原則に反する、と判示したことを非難する。

この点に関する原判示は首肯することができる点もあり、上告人が本件裁決をするに際し、審理手続にも加わらず弁明の機会も与えられなかつた被上告人の過失を裁決主文で認めたことは妥当でないともいうことができる。しかし、本件裁決が前述のような理由によつて行政処分たる効力をもたない以上、このことから逆に本件裁決を行政処分と解することはできず、本件裁決を行政処分と解してその取消を求める訴がゆるされない以上、このことによつて本件裁決を違法として取り消すべき理由にはならないのである。

以上説明のように本件上告は理由があるから原判決は破棄を免れず、そして本訴を不適法とすべきことも右説明のとおりであるから、民訴四〇八条、九五条、八九条に従い主文のとおり判決する。

この判決は裁判官小谷勝重、同垂水克己、同下飯坂潤夫の補足意見及び裁判官藤田八郎、同河村大助の少数意見があるほか裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官小谷勝重の補足意見は次のとおりである。

被上告人に対する本件高等海難審判庁の裁決主文は、ただ海難審判法四条一項に則る海難原因たる事実を明らかにしただけであつて、何ら之がため被上告人に対し法律的拘束力を持つものではなく、従つて行政事件訴訟特例法上の行政処分に当らないことは多数意見判示のとおりであるが、私は、多数意見の結論たる本件被上告人の本訴を不適法として却下すべき理由として、更に次の理由を附加したい。

海難審判法五三条は、如何なる人が如何なる事由によつて本条の訴を提起し得るやについては規定の明確性を欠いてはおるけれども、高等海難審判庁に第二審の審判を請求し得るものは理事官の外は「受審人」でなければ之をすることができないこととなつており(法四六条一項)、被上告人は右受審人でないことは明らかであるから、第一、二審の審判手続の当事者(受審人)でなかつた被上告人は、他に特別の規定の設けがない限り海難審判手続を飛び越えて法五三条の訴提起の原告となることは、海難審判法の予定せざるところであることは凡そ疑問の余地のないところと考える。従つて被上告人は、本訴原告たるの適格を有しないものと解せざるを得ない。更に之を理論上から考えても、海難審判の目的は海難の原因を明らかにし以て海難の発生の防止に寄与するにあることは法一条の明規するところであり、そしてその裁決は、海技従事者又は水先人に対する懲戒裁決に関するものの外は、海難原因たる事実上の結論か又は勧告に止まるものであつて、之に何らの法律的拘束力を与えているものでないことも同法四条一項三項、四三条、六三条の各規定から明確に窺えるところである。してみれば、例えば民事訴訟法二二五条、地方自治法七四条の二第八項の如き、事実の確定だけを目的とする訴の許されるような特別な規定がない限り、法律上の権利関係の確定を目的とせず何の法的拘束力をも与えていない海難審判裁決に対し、しかも審判手続の当事者でない者に訴の提起を許容するの必要なしとの見地に立つて立法された制度たることを窺うに足るのである。尤も原判決もいうとおり、海難審判裁決は権威ある構成による裁決であり、従つてその裁決により被上告人は事実上不利益な一応の推認を受けることは否むことはできないけれども、それはどこまでも事実問題であつて法律問題ではなく、従つて之がため法律的拘束力は絶対に之を受有しないのである。それ故被上告人はあらゆる法律上の手続、最終的には通常の訴訟手続をもつて右裁決と異なる主張立証を尽し得るものであることは明確である。之を例えば民事訴訟において原告甲が被告乙に対し債務の履行訴求を求めた場合、裁判所が債務者は被告でなく第三者丙(判り易い例でいえば、被告乙の子である丙)であるとの理由をもつて、原告の請求を棄却した判決(主文)の場合を考えれば本件裁決は之と類似するものであつて、右訴訟における判決の拘束力は毫も第三者丙に対し効力なく、従つて丙は後日甲より右債務履行の訴を提起されても、丙はすべての主張立証を尽して之を争い得るのと同様である。

次に、本件審判裁決の「主文」は法四条一項にいわゆる「結論」に該当するだけのものであつて、訴訟手続における判決の主文とは全然その効力を異にするものであることはいうまでもない。そして「結論」といえば法四二条、四三条の「理由」の部よりも「主文」の部に表示するのが相当であるというに止まり、表示された部位の如何によつてその効力を異にするものではない。

以上の如くであつて、本件裁決の主文がそのまま法律上の拘束力を附与される制度であるならば、それは憲法七六条二項後段及び三二条各違憲無効の法律または裁決(即ちこの場合の裁判は憲法八一条の「処分」に当るであろう)たるの疑いは十分存するけれども、上来説明の如くそうではないのであるから、少数意見には賛同することを得ない。

附言したい。現行海難審判法及び同法施行規則には、不備な点や不精確な点が相当あるように私考する。就中民事訴訟法第一編二章三節「訴訟参加」の如き制度を設けられるべきではないかと考えられる。けだし審判手続に全然関与せしめず、従つて意見弁解主張立証の機会を与えざる被上告人に対し過失(或は故意)を認定することは、たとえそれが法律的拘束力を持たないといつても、事実上多大の不利益を受けることは必然であり、そして海難審判裁決が訴訟手続類似の制を採用しておることに鑑みれば、まことに片言訟を断ずるのそしりを免かれないというべきであろう。

裁判官垂水克己の補足意見は次のとおりである。

(1)  海難審判庁の裁決の主文の二種、(イ)海難審判法(以下法という)五条の懲戒裁決は某に対して「免許を取り消す。」「業務を停止する。」「戒告する。」という主文であり、(ロ)六条の裁決は「懲戒を免除する。」(ハ)四条三項の勧告裁決は「是々の措置をするよう(或はしないよう)勧告する。」というものである。

そして、(イ)の業務停止の裁決があつたときは理事官は海技免状又は水先免状を取り上げる(六〇条、六一条)。(ハ)の勧告裁決があつたときは執行として理事官は裁決書謄本と勧告書を本人に送付する(六二条)。勧告を受けた者は勧告を尊重し努めてその趣旨に従い必要な措置を執るべき義務を負う(六三条)が、義務違背に対しては制裁はない。

懲戒裁決は権利の消滅、制限又は義務の発生を来たす法律的処分であつて、不利益な法律効果を持つものであり、不懲戒裁決は懲戒を免除される効果を持つ。

勧告についてはこれを尊重し努めてその趣旨に従うべき義務が定められてはいるが、この義務は違反に対しては制裁がないので道義的な義務に過ぎない。また勧告はその実質から見ても、概ねこれを受けた本人にとつては利益になること(たとえその実践に労力費用を要するとしても、本人の過失に因る自己遭難や賠償義務発生などの災厄を予防するに適したこと)のすすめに外ならず、恰かも本人の健康、養生のための処方箋のようなものとみてよい。

(2)  事実確認の裁決 しかるに、裁決には前記各種の裁決に属しない裁決がある。法四三条はいう「本案の裁決には海難の事実及び原因を明らかにし、且つ証拠によつてその事実を認めた理由を示さなければならない。但し海難の事実がなかつたと認めるときは、その旨を明らかにすれば足りる。」と。

本件原海難審判庁の裁決主文は被上告人林兼造船株式会社に対して勧告をすらしていないので、その裁決は「事実確認の裁決」に属する。そこで事実確認の裁決が行政事件訴訟特例法により公法上の権利関係に関する海難審判庁の裁決の取消又は変更の判決を求める訴訟の対象となりうべき行政庁の処分に当るか否かが問題となつて来る。

およそ判決や裁決の主文がどんなものであるかによつてその法律的効力が決定し、またそれを目的とする手続の構造・遣り方が決定する。では事実確認裁決の主文はどんなものであるか。

右四三条にいう「海難」とは法二条各号所定の法律的構成事実に当てはまる事実(出来事)である。(例、「某年月日某所で某船の是々の構造部分に是々の損傷が生じたのにそのまま運用し因つて是々の物的破壊、某々の死傷を惹き起した。」との事実)。

海難原因に関しては、裁決主文は「是々の海難は」「某々の是々の故意」「是々の過失に因つて発生したものである。」「積荷の状況、船の性能、風浪の状況は是々で航海による船の覆没の危険性極めて高いものであつたのに敢えて出帆航海した某々の過失に因り是々の海難が起つたものである。」「海難の原因は不可抗力で、某の過失とは認められない。」「本件事故は海難に当らない。」「原因は不明である。」といつたようなものになる筈である。

尤も、主文は簡明を期するため海難事実およびその原因を記述することなく「本件海難およびその原因たる事実は裁決理由に示すとおりである。」という風に書いてもよい。裁決書には主文がなければならない。明治中期の判決には主文と理由とを合体して「被告人は是々の傷害を与えたものであり右事実は是々の証拠によつて認められ、被告人の右所為は刑法何条に該当するから被告人を懲役何月に処する。」といつたようなものがあつた。この最後の部分が主文であつて、主文はこんなものでもよい。主文なくして裁判や海難裁決は成立しない。本件では裁決主文は「本件海難は林兼造船株式会社の業務上の過失によつて発生したものである。」というのであつて、そのいわゆる「本件海難」又は「会社の業務上過失」の内容は裁決理由に示されたものを指す趣旨であり、これによつて判決主文と「主文ニ包含スルモノ」(民訴一九九条)とが判明する訳である。

本案裁決は民刑判決や一般行政処分を見慣れた眼から見ると極めて異例のものであつて、事実の闡明確認が主文なのである。裁決理由中の証拠説明や「認定にかかる事故は海難に当たる。」「その原因は某のかくかくの意思状態若しくは態度であつてこれは過失に当たる。」との法的判断や証拠判断こそが真の裁決理由なのである。本件裁決理由中に認定された事実およびその原因たる過失は主文の内容に包含するものとして表示されたものである。

以上に説くように、本案裁決の主文は外界および内界の事実を認定するもの、若しくはかような事実は認められないとするもの、約言すれば、事実認定である。鑑定や診断に似ている。つまり、主文は権利義務関係の確認ではなく事実そのものの確認である。

事実の確認とはいつても、勿論、或る出来事が「海難」に当るか否か、某の意思状態若しくは態度は「過失」に当るか否か、過失と船の損傷との間に因果関係(ないし相当因果関係)があるか否か、船舶以外の施設の損傷又は人に対する損傷と船舶の運用との間に法二条一、二号にいう「関連」の関係があるか否か、等々の法律判断は審判庁においてしなくてはならない。(私は本案裁決は事実の確定であるといつても、裸の事実を認定することでなく法律的構成要件に当てはめられた事実を確定することだと思う。従つて「是々の海難の一原因は某(が是々の措置をとることを怠つたこと)の過失である。」という風に表示してもよいと思う。)

又、裁決における全然証拠に基かない事実認定の違法なことはいうまでもなく、条理、経験則、技術的規範に違反する事実認定も違法であり、その違法は主文に影響する。

(3)  裁決の本領 元来海難審判制度は、「海難審判庁の審判によつて海難の原因を明らかにし、以てその発生の防止に寄与することを目的とする。」(一条)。

裁決は、資格があり、独立して職権を行う審判官によつて構成される海難審判庁により原告官ともいうべき理事官の審判開始申立に基き公開の審判廷で(恐らく事故発生直後早期に)行われる専門的見地からの真実の探究、証拠の蒐集、判断に基く事実の確定、公表である。かような権威ある公正な行政機関が私人や素人には至難な、海難とその原因の確認をした上これを天下に公表して警告することは、再び前車の轍を踏み幾多の人命の喪失、負傷および物的破壊をもたらす如き不幸の勃発を未然に避けるという、公共の福祉の見地から貴重有意義な仕事であるといわなければならない。

海難の実情および原因を闡明公表することは海難の事後処理と予防のための立法、行政対策にも、また、造船海運業界や海技従事者、海難関係人、や一般国民にとつても物的改善、労務管理改善のために、また将来の心構えのために役立つことが多大であり、若し海難に関し訴訟が起つた場合には、審判廷に顕出され取り調べられた証拠資料ないしは海難裁決は裁判のためにも有力な資料となりうるのであつて、それだけで極めて有意義な存在である。思うに海難審判法の精神は、或いは海難審判庁に特別裁判所的性格を与えることを避けるためかも知れないが、これに、精々一般行政処分に見られるような懲戒処分をすることと、単なる事実の確認をすることの権限を持たせるに止め、事実の確認とそのために蒐集検討された諸般の証拠資料とが実質的に信頼尊重されるものとなり、海難の事後処理と予防のための立法、行政その他の公的私的対策に貢献する権威を持つものとするにあるのではなかろうか。してみれば、事実確認裁決で過失を認定しただけでは直ぐ様過失者とされた者がこれによつて権利を損なわれたものといえないので、かような裁決が行政事件訴訟特例法によつて取消変更の判決を受けうべき行政処分に当らないことは明らかである。このことは、海難は「不可抗力に因る。」「原因不明である。」との裁決の場合と変りはない。海難によつて積荷を失つた荷主はかような裁決によつて事実上不利な地位に立つ。この場合この事実(権利でない)に関する争を、手続法に従いつつ法による権利の争を裁判することを使命とする裁判所に審判させ本人から事実上の不利な立場を除去する裁判をさせる如きことが無益なことであつて、今日の司法機構の所期するところでないのと変りはない。権利を争うならかかる行政処分の取消を求めないで端的に訴訟を起すことを法律は期待する。

本案裁決(事実確認の裁決)こそはわが海難審判制度の眼目であり本領である。これなくしては懲戒裁決も懲戒免除裁決も勧告裁決もありえない。後者は確認裁決から派生した副産物である。本案裁決の主眼はどこまでも事実の確認であつて、懲戒や勧告は二の次に行われるものに過ぎない。審判は事実認定裁決を目指して行われるもので、懲戒、勧告をするか否かを主目的として行われるものではない。事実確認の本案裁決は真実の事実の確認である。何ら権利の得喪、変更を来たし、権利の存否を確定するものではない。従つて、過失者であるというような、不利益な認定を受けた者でも裁決によつて権利の不存在、義務の存在を認められた如き法律上の不利益を受けることはない。その代り、仮りに、裁判所の判決によつて「海難審判庁の原裁決が認定した事実は海難にも過失にも当らないから原裁決は違法である。」として原裁決が取り消された場合でも裁決で不利益な認定を受けた本人の法律上の地位は別段どうという変動影響を受けない。してみれば、裁決を取り消すべきか否かを裁判所が審判するのは無駄な事である。

(4)  事実確認裁決と当事者主義の後退

裁決の主文は権利の存否の判断でなく、事実の存否の判断である。この事実の確認は直接何らの権利の得喪、変動に結びつく効力を持たない仕組になつている。従つて理事官からの審判請求によつて或る人が海難原因過失者として受審人又は指定海難関係人とされたとしても、彼は裁決によつて給付を命ぜられたり或る義務を有することを確認される脅威に曝されはしない。彼が「過失ニ因リ艦船ノ覆没破壊を致シタル者」〈刑法一二九条)として、起訴され又はかような者として損害賠償請求の訴を起されたとき、始めて彼は刑罰に服すべきこと若しくは賠償すべきことを命ずるような判決を受けるかも知れない不利な地位に立たされる。この場合にこそ彼は憲法三一条にいう適正な手続法によつて防御権を与えられねばならない。適正手続法とは不利益処分を科せられるべきことの請求の相手方に対しその請求の内容性質を知らせ審判手続において反論し反証を挙げ自己を防御する権利を彼に与えた手続法をいう。

けれども審判庁の確認裁決は前述の如く海難の事実およびその原因の確認であり、理事官の申立のうちに或る人を過失者として指定海難関係人として裁決を求める請求が含まれている場合でも、その主眼とするところは右のような事実の確認の請求であつて、指定海難関係人に対する関係においても、権利義務関係の確認の請求ではない。理事官は彼らの過失を主張して刑罰権や懲戒権又は請負契約不履行若しくは不法行為による損害賠償請求権を主張し、権利の争を提起するものでもない。当該海難に関し権利を争う者があると否とに拘わらず公共の福祉の立場から、理事官は事実の確認を求め、審判庁も本案裁決において事実の確認をするのである。海難関係人として指定され審判手続に関与する権利を持つ者でも彼の受ける裁決は精々勧告裁決であつて、これは何ら彼を強制するものでもなく彼に結局不利益となることをするよう勧告するものでもない。従つて海難審判手続においては当事者主義が後退し実体的真実主義、職権主義が支配的となつて来る。海難関係人は審判手続に関与する当事者としての強い、有利な手続上の権利は与えられないことになつているが、これも当然でやむをえない。この手続の目的物が当事者間の権利関係でなく、客観的な真実の事実である以上、当事者の請求の抛葉若しくは認諾による手続の終了はありえない。また、審判庁は民事訴訟と異り理事官と受審人との間に争のない事実と異る事実を認定してはならないという法的拘束をも受けない。また、当事者が書証の成立を否認したことによつてその証拠力に当然制約が生ずる訳もなく、受審人等の自白のみによつて過失を認定することも許される。実に、海難審判手続は受審人がなくても、その立会がなくても進めることが許されるのである。海難審判法および同規則の定める手続はそのようになつており、これは主文が事実認定に過ぎないことに照らし、それでよい訳である。

(5)  過失に因る義務が発生したものとされるためには刑法、民法又は行政法の特定の規定に定める過失の要件が充足されることが必要であり争あるときは裁判所の判決によつてその要件が充足されたことが是認されねばならない。海難事件の裁決にいわゆる過失とは何か。それは船舶の構造、運用に関連ある各種行政法規や経験則、技術的規範等に照らして海技従事者や航路標識、気象通報等の管理者の管理に関する業務上の過失や船舶自体又はこれに装備された観測、通信機に存した欠陥についての製造者の過失をいうのであろう。海賊船や航空機の攻撃による破壊についての故意、過失をいうのでろあう。

けれども元来過失というものは刑法第何条の過失罪の構成要件としての過失とか、民法の不法行為の構成要件としての過失とかいうように、それぞれの法条の規定に固有な過失概念としてのみ存在しうる筈のものである。海難裁決で確認した某の過失が果して刑法一二九条にいう過失に該当するか、民法七〇九条の不法行為の要件である過失に該当するか否かは、争あるときは裁判手続によつて新たに検討裁判されなくてはならない。海難裁決における過失の認定が民事刑事の各種の裁判に「出来合いの過失の認定」として直ぐ様通用する効力を法律上持つ筈はない。裁決自体左様な意味での過失を認定するものでない。又、海難審判は独自の目的使命を有し、裁判に前手続として結びついているものではない。過失を認めた裁決は何ら刑法一二九条の過失艦船覆没罪の成立やこれによる刑罰権の存在や或は民法不法行為の要件たる過失およびこれに基く損害の発生やこれによる賠償義務の存在を確認する訳ではない。

本件問題の被上告会社に対する過失裁決は勧告をさえしていない。

懲戒裁決又は懲戒免除裁決でない以上本案裁決は何等権利の存否を確定するものではなく又過失裁決は法律上、裁判所の過失罪判決や民事過失責任判決の前提となるものではない。何人も海難審判の前後であると途中であるとを問わず海難についての過失に基く損害賠償請求訴訟又はかような賠償義務不存在の確認訴訟を裁判所に起すことができる。裁判所は、この場合海難審判庁の裁決に拘束されることなく、その存否に拘わりなく判決する。一方、海難審判庁としても裁判所の裁判の存否内容に拘わりなく確認裁決をすることができる。海難に関し過失ありとする判決を受けた者に対し審判庁が反対に過失なしとする裁決をすることは審判庁の専権に属する。この場合判決も裁決も両立する。判決と裁決とは違つた平面に立つのである。

とはいうものの、海難審判廷に顕出された証拠資料が裁判所の法廷に顕出され、それが事実上重要な証拠となり、又、裁決の示した判断も事実上裁判のための好個の参考意見となることが多いだろうことは否定できないと思う。

以上の理由であるから、海難審判庁のした事実の確認の裁決は権利の得喪変更確認の行政処分でないから、権利の争議としての行政訴訟の対象となりえないものといわなければならない。

(6)  結び 本件海難審判庁の裁決主文は「本件衝突は、林兼造船株式会社の業務上の過失によつて発生したものである。」という事実認定である。この事実認定は直ぐ様被上告会社の権利義務を確認し若しくはその権利関係を変更するような影響を与える効力を持つものではない。尤も、事実認定といつても刑法上の犯罪構成事実又は民法上の不法行為およびこれに因る損害発生の構成要件にピッタリ当てはまる事実を認定した裁決は、恰かも犯罪行為あり、不法行為に因る損害の発生あり、従つて刑罰請求権あり損害賠償請求権ありといわんばかりのものであるといえる場合もあろう。かような場合には憲法三一条の精神から、かような事実上の不利益を蒙るかも知れない者を審判手続に関与させ自己を防禦する機会を与える立法をすることが適当だといえるかも知れない。この限りでは少数意見は一理あるように思われる。けれども憲法三一条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と謳つているところから見ると、適正合理的手続によらなければ科せられない不利益処分というのは、刑罰に準ずる、これに近い処分であると考えられる。少くとも、これによつて人の権利、法益が失われ人が法律上不利な地位に立たされるような処分であると考えられる。過失確認裁決の如き事実上本人を不利な立場に立たせるに過ぎない処分の如きは憲法三一条の意味する「刑罰に準ずる」処分に当らない。権利争議の対象とならない程度の海難事実確認裁決の如きは前述の適正合理的手続法によらないでこれをしても憲法三一条違反にはならない。海難審判法や行政事件訴訟特例法は海難審判庁が審判する場合には、民事訴訟法に準拠して、不利益裁決を受けるかも知れない者を手続に関与させ防禦の機会を与えるべき趣旨の諸原則を定めた規定を含んでいると解することはできてても、それは懲戒裁決等をする場合のことで、単なる事実確認裁決をする場合にも適用あるものと解することはできない。仮りに本件を原審判庁ないし原裁判所に差し戻した結果、被上告会社が手続に関与し防禦を行使した上新に過失なしとの事実確認裁決ないし判決がなされたとしても、被上告会社が海難について過失を有するか否かの点については裁決なり判決は依然として被上告会社の法律上の地位に何らプラスともなららず、またマイナスともならないことに変りはない。小数意見に賛成できない所以である。

裁判官下飯坂潤夫の補足意見は次のとおりである。

本件裁決における「本件衝突は林兼造船株式会社(被上告人)の業務上の過失によつて発生した」旨の主文の真の意味は何か、この点を、せんさく、検討することが本件において先ず第一に肝要なことである。何んとなれば、本件は右主文に掲げられた事項を問題とする訴訟だからである。そして、右の真の意味を把握、理解するには本件海難審判事件の構造から、また裁決理由との対照において、なされねばならないので、右主文の文面にとらわれるべきではない。

本件海難審判事件において、高等海難審判庁は後藤五郎、鈴木吉次郎、赤沼秀平の三名を受審人とし、浜崎長太郎を指定海難関係人として審理を進めたのであるから(本件海難審判事件の構造はかくの如きものであり、それ以外のものではない。)、右審判庁としては本件裁決主文において、右受審人らを懲戒するか、しないかを、また右指定海難関係人に対しては何らかの勧告をするか、しないかを明示すべきを当然の筋道としたのである。然るに右審判庁は受審人も指定海難関係人もともに咎むべき何らの過失もなく、本件衝突は本件海難審判事件では第三者である林兼造種株式会社(被上告人)の業務上の過失に基因するものである、それ故受審人らは懲戒に値しないし、また指定海難関係人に対しても勧告に及ばないとの趣旨の断定をし、これを裁決理由中に明示しながら、受審人及び指定海難関係人に対する右判断に相呼応する措辞を主文に欠き、卒然として、本件海難審判事件の構造の中に入つていない第三者に関して、本件衝突は被上告会社の業務上の過失に基因する旨判示したのである。してみれば本件裁決は受審人及び指定海難関係人に対する肝腎な判断を表現する措辞を主文中に脱漏したものと解するを相当とするのであるが、右は単なる脱漏とのみ解すべきではくな、本件裁決は本件衝突は被上告会社の業務上の過失に基因するとの旨判示しているのであるから、その措辞の反面からして受審人ら及び指定海難関係人は裁決理由どおり懲戒をしない、勧告をしないとの趣旨をうたつているものと解すべきである。けだし本件海難審判事件の構造上からして受審人ら及び指定海難関係人に対し何らの判断も主文において示されていないということは殆ど考えられないことだからである。

ただ問題は被上告会社に対する前示措辞の意味如何である。前段述べたように被上告会社は本件海難審判事件の構造の中には入つていないのであるから、右審判庁は被上告会社に対し法律上救力を及ぼし得べき如何なる裁決もなし得ない筋合であつて、本件裁決がその理由中に被上告会社の責任について云為したのは受審人ら並びに指定海難関係人に責任のない事情として述べたに過ぎないものと解すべく、従つて主文中にこれをしるしたのは被上告会社に対する関係においてはあらずもがなの無用の文字を連ねたものと解するを相当とする(右文辞が被上告会社に対する勧告の意味をもつていたとしても敢えて主文中に掲げる必要なく、理由中に示すを以て足るのである。)。然らば、被上告会社は本件訴を以て不服申立をなす対象を自ら欠いているものであつて、いわゆる的なきに矢を放つのたぐいであり、本訴は到底不適法のものたるを免れないものと云わざるを得ない。

以上の理由で、私見は理由は異にするが、結論において多数意見と同調する次第である。

裁判官藤田八郎の少数意見は次のとおりである。

海難審判法(以下法と略称する)は海難審判庁の審判によつて海難の原因を明らかにし、もつてその発生の防止に寄与することを目的とする(一条)法律であるが、同法によれば審判庁が海難の原因について取調を行いその結論を明らかにする裁決には三種ある。(一)海難の原因解明裁決(二)懲戒裁決(三)勧告裁決である(四条)。海難審判においては裁決によつて海難の原因を明らかにすることが主たる目的であつて、海技従事者、又は水先人に対する懲戒はむしろその従たる目的であることは法四条、三三条、三四条その他法全体の趣旨から看取することができる。この点において従前の海員懲戒法と著しくその趣きを異にするものである。しかし、同法はまた一面において「審判」によつて、すなわち審判裁決、これに伴う一連の準司法の手続に従つて海難の原因を解明せんとするものであることは同法全体の規定から明らかであつて、この点において通常の行政機関たる調査委員会等が単純に事実調査を行うものとは著しくその性質を異にするものである。行政機関たる海難審判庁が準司法の手続によつて行う裁決という点にその特色があるのであつて、従つて本件のごとき高等海難審判庁の裁決に対する出訴の適否の問題を論ずるにあたつても、ただ単純に、在り来りの行政訴訟に関する理論のみをもつてしては、到底割りきれないもののあることを先ずもつて、留意しなければならない。海難審判法が海難の審判についてかくのごとき構造を作為した所以は、一面憲法において「行政機関は終審として裁判を行うことはできない」とあつて終審としての特別裁判所の設置は許されない、他面この種の問題は、極めて技術的であつて、専門的知識を具えた審判官をして審判せしめることが事の性質上適当であることの要請にこえて、極めて微妙な考慮に出た奇形児的存在であることに留意しなければ、ことの本質を捕捉することは不能である。そして本法が一面において立法技術上幾多の欠陥をもつていることにも注意しなければならない。

よつて先ず「勧告裁決」について考えて見るに、勧告決裁は、海難審判庁が必要とみとめるときに海技従事者、水先人以上の者で海難の原因に関係のあるものに対し勧告をする旨の裁決である(四条)が、海難審判庁が勧告裁決をするためには、その勧告を受ける者は必ず指定海難関係人に指定されて、その審判手続に関与せしめられなければならない。この指定のないかぎり、その者に対して勧告の裁決をすることはできない(海難審判法施行規則二七条、三二条一項)。この指定なく従つて審判の手続に関与せしめられないで、勧告を受けた者は、この違法手続に対して不服の申立をすることができるものと解しなければならない。そして勧告裁決によつて勧告を受けた者は、勧告を尊重し努めてその趣旨に従い必要な措置を執らなければならない(法六三条)。すなわち、勧告裁決は勧告を受けた者に対し、かくのごとき法律上の義務を課するものであるから、これに伴つて派生する法律上の利益、不利益を別としても、裁決自体が行政処分として行政事件特例法による行政訴訟の対象となり得るものであることは疑を容れないところであろう。(制裁を伴わないから、これを法律上の義務でないとの強弁は許されない。)

そこで本件の問題となつている裁決は以上三種の裁決の内いずれの種類に属するものであるかについて考察する。本件裁決の主文は「本件衝突は林兼造船株式会社(被上告会社)の業務上の過失によつて発生したものである」とある。原因解明裁決と解すべきであろう。しかし、その内容からみて、単なる海難の原因を解明した。例えば「予知し難い気象の急変によつて海難が発生した」とするごときものとは違つて、関係人の過失責任の存在を宣示した裁決である。元来、法は、法は、審判によつて探究さるべき海難の原因として、第一に「人の故意又は過失に因つて発生したものであるかどうか」を挙げている(三条一号)。そしてここにいう人とは必ずしも海技従事者又は水先入にかぎらない趣旨であるから、これら以外の人の故意又は過失に因つて海難が発生したかどうかということは、本来、法の原因探究の主たる目的の一とするところであつて、本件はまさに同条同号の趣旨に従つて、被上告会社の過失に因つて発生したものであるとの結論を解明したものである。(法によれば裁決は海難の原因についてその「結論をあきらかにするもの」(法四条)であることはその明定するところであるから、その結論は裁決の主文においてあきらかにしなければならないものと解すべきは勿論である。この点に関する原判決の説示は不可解である。)かかる裁決によつて、その過失を認定された裁上告会社は直接、法律上の義務を課せられるものではないけれども、若し、この主文につづいて、よつて今後同会社の注意を勧告する旨の記載があるものと仮定すれば、直ちに前示「勧告裁決」となり得るものであつてその実質においては勧告裁決と異るところのないものである。その形式は原因解明裁決ではあるが、その過失を認定された被上告会社の立場から見れば、勧告裁決において「勧告を受けた者」とその地位関係において同視されてしかるべきものであろう。

さらに、裁上告会社は本件海難については、法三二条所定の「海難関係人」に該当するものであることは二審裁決書の認定するところから明白である。すなわち、同裁決書によれば、同会社は、第六関丸の定期検査の請負者であり、その操舵装置に関する修理施行者であること、本件海難が右修理後同会社が施行した試運転航行中の事故であるというのであるから、同会社は法にいわゆる「海難関係人」にあたるものである。かくのごとき海難関係人に対し原因解明裁決において、その過失の存在を裁決する場合についての手続規定は法に欠けているところであるけれども、かかる裁決は勧告裁決とその実質において差異のないこと前段説明のごとくである以上、すべて勧告裁決に準じて考慮すべきものである。すなわち、かかる海難関係人に対して、その過失を宣明する裁決を行うためには必ずこれを指定海難関係人に指定して手続に関与せしめなければならない。かかる指定を行わず関係人を手続に関与せしめることなく、その過失を宣明する裁決をすることは、海難審判法の解釈上違法の裁決たるを免れないものと断ずべきである。

司法審査において、不利益の審査を受けるおそれのあるものについては、常にその手続に関与せしめ、十分に意見、弁解の機会を与えたうえでなければ、その者に対して不利益の判断をすることのできないこと、いわゆる不告不理の原則は司法審査における通則である。のみならず、法においても、懲戒裁決の手続についてはもとよりのこと勧告裁決に関してもこの通則を採用していることは前述のとおりであつて、原因解明裁決においても、勧告を受けた者の立場と同視すべき本件の被上告会社のごときものに対する関係においては、これを同様に解すべきは当然である。従つて被上告会社は、勧告裁決において「勧告を受けた者」に準じて、この違法の裁決に対して不服の申立をすることができるものと解しなければならない。

多数意見は本件裁決をもつて被上告会社の権利義務に直接に関係するものでなく、また同会社の法律上の利益を侵すものでないから、行政事件特例法に規定された抗告訴訟の対象となる行政庁の処分というにあたらないことを根拠として、これに対する被上告会社の本訴を拒否するものである。けれども、本件裁決が海難審判庁という行政庁の行政処分であることは間違いない。そして本件裁決の内容が被上告会社の修用上営業上多大の不利益を招来するおそれのあるものであることも疑を容れないところである。すなわち、違法の手続によつて為されたこの処分は、被上告会社の法律上の権利、利益に多大の影響を及ぼすものである。ただ単に被上告会社の権利義務に直接に関係するものでないということだけで、これが行政訴訟による救済を拒否することは、余りに行政事件特例法にのみ拘泥する論であり、同処分が準司法手続によつてなされた処分であることを無視した論議である。海難審判手続の過程においては、単なる原因解明の裁決、例えば不慮の天災にもとづくというごとき何人の故意過失をも認定しないものであつても、これに対する不服の申立――二審の請求――はみとめられ、かかる裁決も上級審判の対象となり得るのである。かくのごとき準司法手続による裁決をもつぱら通常の行政官庁の行政処分と一律に解釈しようとすることは、海難審判手続の本質を理解しないものである。さきに、本法の特質を捕捉することなくしては問題の理解は不能であると述べた所以である。懲戒裁決によつて故意過失ありとして法五条の戒告を受けたものは五三条の出訴ができることに異論はあるまい。勧告裁決によつて故意過失ありとして四条三項によつて勧告を受けた者も同条出訴の権ありと解すべきである以上、ひとり、法三条によつて海難について故意過失ありとの裁決を受けた第三者は、同条出訴の権利がないとすることは甚しく均衡を失するものではないか。本件は被上告会社の過失を判定したものであるけれども、若しかりに本件裁決が法三条によつて、被上告会社の故意によつて発生したものであるとの判定を下したと仮定しても、しかもそれが違法の手続によつて為きれたとしても、被上告会社はこれが取消を求める訴訟上の途がないということであろうか。かかる違法の処分に対し、上訴もできず、特例法による出訴も許さないとするならば、まさに切り捨て御免の思想に通するものであろう。あに、法の精神ならんやである。

多数意見は本件裁決の既判力は他の訴訟事件に及ばず、被上告人の過失について確定の効力もなく、従つて裁判所は他の訴訟事件において裁決と違つた事実認定をすることを少しも妨げられないことをあげて、本件裁決が被上告人の権利義務に直接関係のないものとしている。しかし、実際問題として斯界の権威者によつて司法審査に準ずる手続によつて専門的技術的に突明された海難原因をあきらかにした裁決のある場合に裁判所がこの裁決の結論に反して事実を認定し海難の原因を解明することは容易なことではない。裁判所としては多分に裁決の結論を尊重しなければならないこととなるであろうし、また法の精神も、海難審判庁の裁決をして十分に権威あるものたらしめんとするにあることは疑を容れない。さればこそかかる特殊事項について特判裁判所の設置は憲法上許されないところであるがあめ、それはそれなりに、かくのごとき司法審査に準ずる形式をとつて、一面においては裁判所に対する下級審であるがごとき形態をととのえた所以である。多数意見は、この裁決は他の訴訟において一の証拠資料になるに過ぎずとし、しかも「被上告人が審判手続に加わつていない場合には被上告人を当事者とする他の訴訟事件の証拠としてもその価値はそれだけ低いものともいえる」という。しかし、法の精神は多数意見の説くがごとき証拠価値の低い権威のない証拠資料を作為しようとするものであろうか。法に解釈の余地あるかぎり、かくのごとき裁決には必ず関係人を審判に関与せしめることによつて、十分に権威ある裁決たらしめることが、法の精神にかなう所以であると信ずる。(将来において、交通事件、労働事件等特殊専門的知識を必要とする訴訟事件について、本法と類似の立法のたされる傾向にあり、かつ、それが望ましいことであると信ずるが故に自分は特に強調するものである。独占禁止法八〇条、電波法九九条等参照。)

要するに自分は、本件裁決は、被上告会社に対し、審判の手続に関与せしめないで、被上告会社の過失を認定した点において違法あるものであつて、被上告人は法五三条に基いて、東京高等裁判所にこれが取消を訴求する権利あるものと解する。

裁判官河村大助の少数意見は次のとおりである。

わたくしは本件上告は棄却すべきものと思料する。

本件海難事件について、第二審の高等海難審判庁が「本件衝突は、林兼造船株式会社の業務上の過失によつて発生したものである」との裁決をしたこと、及び右審判につき被上告人兼造船株式会社はその審判手続に参加せしめられなかつたことは原審の確定するところである。

論旨(第一、二点)は原判決が被上告人は本件裁決によつて不利益を受ける者であるから、本件裁決取消の訴は、適法であると判示したことを非難し、本件裁決は被上告人の権利義務に関係がなく、行政処分とは認められないから本訴は不適法であると主張するので、まず、この点を判断する。

海難審判庁の裁決は、一定の事実又は法律状態の存否の判断を本体とし、特に対立する利害の調整を図るための公平が要求される場合もあつて、審判は、利害関係人の審尋や、証拠調について厳格な手続が定められ、実質的には司法作用である裁判に類似するものであるが、形式的には独立の権限を有する行政機関が法定の手続を経て為す行政行為に外ならないものといわなければならない。ところで本件の裁決は、第三者としての地位にある被上告人に業務上の過失ありと認定したものであつて、第三者に関係のない単なる原因解明の事実認定を為したに過ぎないものというを得ないことは明らかである。かような行政庁の判断の表示を、抗告訴訟の対象となる行政庁の処分といえるかどうかを考えて見るに、凡そ行政庁が公の権威を以て特定の法律事実又は法律関係の存否を確定して、これを公に宣言する行為は、たとえその確認行為の対象が或具体的な権利義務自体でなく、その基礎となるべき法律要件事実に過ぎないものであつても、それが同時に国民の権利義務又は法律上の地位に影響を及ぼすものと認められるものである限り、その法律的判断の争いは原則として抗告訴訟の対象となるものと解するを相当とする。本件裁決における業務上の過失の判断の表示も被上告人に法律上の責任原因あることを宣言したものであつて、具体的権利義務を確定したものではないが、これを単純な事実行為として法律的に無意義なものと為すことはできない。勿論その裁決主文は行政庁の処分としては殆ど例を見ないもののようであるが、その形式の当否は別としこの裁決により被上告人の権利義務乃至法律上の地位に影響を及ぼすものと認むべきことは後に述べるとおりであるから、本件裁決は特定の法律関係を確認する行政庁の処分として抗告訴訟の対象となり得るものと解すべきである。

右の如く本件裁決は行政処分の一種と見ることができるのであるから、その行政庁を拘束し自らその取消変更は許されず、後に述ぶるように抗告訴訟によつてのみ取消が認められるに過ぎないものと解すべく、そして、かかる裁決の存在することにより、被上告人は第一に営業上の信用に多大の影響を受けることを見のがすことはできない。いうまでもなく、法人についても名声、信用等社会より正当に受くべき評価は、名誉権として保護せらるべき法益であること疑いを容れないところであるから、本件のように公の権力で業務上の過失を宣言された場合もしもその判断に誤りがあるとすれば、これにより被上告人はその名誉権を侵害されたものということができるであろう。また本件裁決の結果、その衝突事故によつて損害を被つた者から、他日被上告人に対し民事上の損害賠償を請求される可能性もあり、かつ右衝突事故が刑事事件となる虞れもあつて、これらの訴訟においては、裁判所が右裁決を尊重することになるのは当然のことである。けだし、その審判は技術的、専門的な方面における学識経験者によつて行われるため、正確な事実認定を期待し得るものであつて、その認定は権威あるものというべく、原因解明とその責任の所在に関しては重要な証拠となるものだからである。

ところで行政処分により違法に権利を侵害されたものは、当該処分の直接の相手方でない第三者と雖も、その行政処分の取消を求める抗告訴訟を提起し得る適格を有すること及びその権利侵害も厳格な意味での権利の侵害を必要とせず、法律上保護されるに値する正当の利益を以て足りると解すべきことは異論のないところである。しかして、本件の裁決は前記のとおり被上告人は裁決を受けた当事者ではないけれども、法律上の過失責任を認定された点において正に法律上の不利益を受けたものというべく、すなわち、叙上の如く該裁決が被上告人の営業上の信用に重大な影響を与え、かつ他の裁判において不利益な判断を受ける資料となるものである以上、かかる不利益な裁決を排除する利益は法律上保護するに値する利益というを妨げないといわなければならない。従つて該裁決の取消を求める訴は海難審判法第五三条の抗告訴訟として許さるべきものであると解するを相当とする。

次に論旨(第三点)は原判決が本件の裁決主文において海難原因が被上告人にありとしたのは、被上告人に弁解の機会を与えずして行つたものであり、不告不理の原則に反するとの判断をしたのを非難する。

しかし、海難審判法は、対審及び裁決は公開の審判廷で行い(法三六条)受審人及び指定海難関係人には意見弁解の機会が与えられ、かつ必要な証拠調も行われて、実質的には司法作用である裁判に類する判定が下されるのである(同法施行規則三六条以下)。審判につき利害関係を有する者をかような厳格な手続に参加させることは、国民の権利義務を強く保障する新憲法下においては当然のことである。しかして本件裁決のように、特定の第三者の過失責任を認定しようとする場合は、同法第四条三項により裁決を以て勧告する予定の下に事故の原因を与えたと疑われる第三者を海難関係人に指定し(規則三二条)審判手続に参加せしめることを要し、かかる手続を経ずして第三者の業務上の過失を認定することは許されないものと解するを相当とする。尤も規則第三二条が第二審の審判手続に準用あるかどうかは疑問であるが、もしも第二審の審判手続においては、新たに海難関係人を指定することは出来ない法意であるとすれば、第二審においては利害関係ある第三者を審判に参加する手続を欠く結果、本件のような裁決はこれを行うことが出来ないことにならざるを得ない。従つてこの点に関する原判決も結局正当である。

なお附言すべきは、法は地方海難審判庁(一審)の裁決に対して理事官又は受審人から高等海難審判庁に第二審の請求をすることが認められている(四六条)のに指定海難関係人にはその権利が認められていないこと及び第一審の裁決に対しては訴の提起が出来ない(五三条四項)ことから法は海難関係人に対してすら裁決に対し不服申立を認めない趣旨ではないかとの点である。第一審の裁決に対する第二審の審判請求者に指定海難関係人を加えなかつたことは法の不備だと思われるが、それはともかくとして、その裁決に不服ある海難関係人が抗告訴訟の途まで閉されているものとは到底考えられないところである。法第五三条四項の規定は、第二審の審判請求を認められている受審人等は第二審を経て高等裁判所え出訴することが認められているため、第一審の裁決に対し直ちに訴の提起は許さないものとしたのであつて、第二審の審判請求を許されない海難関係人に対しても、抗告訴訟を提起する自由を制限した趣旨とは到底考えられない(勧告処分を受けた指定海難関係人は法第六三条により、勧告を尊重し努めてその趣旨に従い必要な措置を執らなければならない法律上の義務を負うものである。)。けだし特定人に法律上の不利益を与える裁決の適否は、終局的には司法審査に服せしめることが、法治国家の要請であるというべきだからである。

最高裁判所大法廷

裁判官 島     保

裁判官 斎 藤 悠 輔

裁判官 藤 田 八 郎

裁判官 河 村 又 助

裁判官 入 江 俊 郎

裁判官 池 田  克

裁判官垂 水 克 己

裁判官 河 村 大 助

裁判官 下飯坂 潤夫

裁判官 奥 野 健 一

裁判官 高 橋  潔

裁判官 高 木 常 七

裁判官 石 坂 修 一

裁判長裁判官田中耕太郎、裁判官小谷

勝重は退官につき、署名押印することが

できない

裁判官 島     保

上告理由

○昭和二八年(オ)第一一〇号

上告人 高等海難審判庁長官 増田一衛

被上告人 林兼造船株式会社

上告指定代理人藤井長治の上告理由

第一点

原判決は、その理由において本件裁決が「直接原告(被上告人)の権利を侵害し、又は原告に義務を課するものでないことは被告(上告人)主張のとおりである。しかし右裁決は通常の行政処分と異なつて、右裁決をなした高等海難審判庁自身においても、裁決後において自ら取消すことができず、それは海難審判法第五三条により東京高等裁判所に訴が起されて取消されるのみなのである。」と判示せられ、本件裁決をもつて海難審判法第五三条の訴の対象となるものと解されているのであるが、以下述べるように、この点で既に誤に陥つているものである。

元来海難審判法第五三条以下に規定される「裁決に対する訴」は、特許法第一二八条の二以下の訴とともに、行政事件訴訟特例法所定の「行政庁の違法な処分の取消又は変更に係る訴訟(いわゆる抗告訴訟)」の特例として立法されたものであることは、その各法律の規定を対象してみれば明かであり、従つて、海難審判法にいう「裁決に対する訴」も抗告訴訟の一種として、いわゆる行政処分に当る性質を有する裁決を対象とする訴であることは疑ない。そして、抗告訴訟の対象となる行政処分とは、大体個人に対する国家又は公共団体たる行政機関の一方的な意思、認識、判断等の精神作用の表示であつて、それに固有の法律効果を付着せしめられたものをいい、特定人に対しその行為固有の法律効果を生じない精神作用や事実行為はこれに含まれないとするのが通説であると思われる。

ところで、高等海難審判庁の裁決には、右に述べたような意味における行政処分に属するものと属さないものがあることに注目しなければならない。即ち、海難審判法(以下単に法と称する。)第四条第二項及び第五条による海技従事者又は水先人に対する懲戒処分を行う裁決(以下懲戒裁決と称する。)――これは旧海員懲戒法伝来のものである――については、行政処分の性格を認めることができるが、法第四条第三項による海技従事者、水先人以外の者で海難の原因に関係ある者に対して勧告をする旨の裁決(以下勧告裁決と称する。)並びに法第四条第一項の海難原因について取調を行いその結論を明かにする裁決(以下原因解明裁決と称する。)――これは、新に海難審判法で認められ、国法上他に類をみない特殊な制度である――についは、行政処分的性格は認めがたいものといわなければならない。詳言すれば、勧告裁決は、文字通り勧告裁決であつて。命令的な要素を含むものではなく、法第六三条が、勧告を受けた者は勧告を受けた者は勧告を尊重し、務めてその趣旨に従い必要な措置を執るべき旨を定めているとはいえ、それは単に訓示的なものであつて、何等法的拘束力を伴うものではないし、又原因解明裁決に至つては、海難原因取調の結果を明かにする意見書の一種であつて、将来に対する海難防止という公益的な目的から、警告的な意味において公表されるものに過ぎないので、抗告訴訟の対象となる行政処分には当らないからである。

右のように、勧告裁決や原因解明裁決に、行政処分的性格を認めることができない以上、これら裁決は、法第五三条による裁決に対する訴の対象になり得ないものと断ぜざるを得ない。このことは、他面、法第四六条が事件の第二審請求権者を、理事官以外は、受審人(法第三四条参照)及びその選任した補佐人(法第二三条参照)に限つており、従つて第一審審判における勧告裁決や原因解明裁決に利害を感じる指定海難関係人(法施行規則第二七条参照)や第三者があつても、これに固有の第二審請求権を認めず、しかも法第五三条第四項が裁決に対する訴は第一審審判に対しては許されないものとしている点からしても十分裏付けることができるし、又勧告裁決について、法施行規則第七七条が、勧告を受けた指定海難関係人は、裁決言渡の日から一ケ月以内に理事官に弁明書を提出したときは、これを勧告書を公示したのと同じ公示方法で公示させ、最後的には、その当否を双方に対する世論の判定に委ねるような措置をとつていることからも窺われよう。

以上これを要するに、高等海難審判庁の裁決であつても、懲戒裁決以外のものは、法第五三条の訴の対象とならないとするのが、海難審判法の法体系上正解というべきであり、従つて、懲戒裁決でないことの明かな本件裁決に対して、原審が訴を却下せずして本案の審理にはいつたのは、明かに法律の解釈適用を誤つたものであり、この点において破毀は免れないものと信ずる。

第二点

原判決が被上告人に本件裁決取消の訴の利益を認めた根拠は第一点に述べたような誤解の外、本件裁決は、その裁決後においては上告人自身も取消すことができない点が判決の効力に似ており、海難事件の審判手続も大体において訴訟手続に類似しているから、訴訟法の規定を準用して考える余地あるものとして、裁決の主文に判決の既判力に準ずる効力を認めようと試み、他面、高等海難審判庁の裁決が海難事件の解明に権威あるものであるから、別に同じ海難を原因とする民事又は刑事の裁判事件が提起されたとすれば、その裁決の主文における判断は、事実上裁判所を拘束する力があるものではないかと臆測した点にある。

しかしながら、本件裁決は、海難原因解明裁決に属し、第一点において述べたように、行政処分的性格を有するものでなく、特定人に対し何等固有の法律効果を伴うものではない。従つて判決と類似の効力をもつものではなく、これに判決の主文について生ずる既判力類似のの観念を導入しようとすることは、明かに無理であるといわなければならない。

又、原審は上告人の行う裁決の目的を正しく把握していないと思われる。上告人の裁決は、すべて船舶の交通安全、海難防止という公益的見地から判断してなされるものであつて、個人の民事上あるいは刑事上の責任追及の見地から行われるものではない。その裁決において、海難の原因が「人の故意又は過失によつて発生したものであるかどうか」(法第三条第一号)を判断する場合であつても、それは主として海上の交通技術や造船技術の水準に徴してその人の能力や技術に欠缺があるかどうか、かような人やそのもつ技術の存在が将来の海難防止のために好ましからぬものであるかどうかが調査判定されるのであつて、その人の行為の倫理的価値判施や道義的責任が決せられるものではなく、審判における過失は、民事又は刑事上の過失に一致するものではない。従つて、たとえば、審判事件と同一海難を原因とする損害賠償事件との間に事件の同一性のないことはいうまでもなく、仮に訴訟法の理論をそのまま適用しても後訴に対して、裁決の既判力を認める余地はなく、又事実上の問題としても、原判決のいうように「その民事事件において、裁決の主文に現われた内容は一応尊重されるということ」は断じて当然のこととは考えられない。一般にいつても、裁判所は、独占禁止法第八〇条のような規定のないかぎり、行政庁の認定を尊重して独自の判断を放棄することの許されないのはいうまでもないことである(憲法第七六条第二項参照。)かような点からしても、原判決のいう事実上の不利益は、これを法律上の不利益に転化せしめなければならない程重大なものとは到底理解できないところである。又、ある不利益が法律上の不利益であるか事実上の不利益であるかの問題は、不利益の性質に関する問題であり、ある不利益が重大なものか軽少なものかは不利益の程度に関する問題である。即ち、法律上の不利益でも軽少のものもあるであろうし、事実上の不利益でも重大なものもあろう。民事裁判所において裁決が「一応尊重される」虞のあることが原判決のいうように「余りに重大な不利益」かどうかは暫く措き、不利益の性質の問題を不利益の程度で決めようとする原判決は論理の法則を無視したものといわければならない。

なお、原審は本件をもつて抗告訴訟として取り扱つたのであるが、抗告訴訟における訴訟利益の認められるのは、その訴訟の対象とされた行政処分の法律効果によつて原告の権利の侵害された場合でなければならない。原告の法益の侵害が、行政処分固有の法律効果によるものでない場合には、抗告訴訟の形態をもつて争わしむべき必要がなく、従つて争うを許されないものである。たとえば、あの行政庁が職権を濫用して特定人の名誉権を侵害するような公表をしたならば、それは国家賠償の問題として、被害者は訴訟利益をもつであろうが、右の発表を抗告訴訟によつて取消を求める利益はないのである。原判決は、本件裁決が「直接原告の権利を侵害し、又は原告に義務を課するものでないことは被告主張のとおりである。」と認めながら、なお被上告人につき抗告訴訟の訴訟利益ありとする大きな無理を侵しているのである。

以上これを要するに、原判決は本件裁決の性質のみならず、海難事件の審判の目的、抗告訴訟の性格等につき十分の検討を欠いたために、本件被上告人に訴訟利益を認めるに至つたものであつて、ひつきよう法律の解釈適用を誤つたもので、この点においても破毀せらるべきものといわなければならない。

第三点

原判決は「一方、理事官からなんの審判を求められていない原告に対し、他方なんら答弁又は弁解の機会すら与えることなく主文で原告の業務上の過失に基く旨を明記した原裁決は、実質的にみれば、不告不理の原則に反すると共に、原告の権利を不法に侵害した違法があると認めざるを得ない。」旨を判示せられたが、その根拠とするところを要約すると、海難審判事件もいわゆる不告不理の原則に基いているものであつて、この原則からすれば、理事官から受審人あるいは指定海難関係人として審判を申し立てられた者については、その責任を裁決主文で表示しても問題はないけれども、それ以上の第三者の権利義務に直接影響するようなときは、その第三者の責任を裁決主文で明かにすべきではなく、理由中で示すのを相当とするのであつて、このことは、又第三者について審判手続で弁解の機会を与えることについて格別の配慮をしていない海難審判法においては、争訟の条理からしても、又国民の権利義務を強く保障している憲法からしても当然の要請であるというにある。しかし、この点においても、原判決は以下述べるような誤を侵しているものといわねばならない。

(一) 海難審判庁は、理事官の審判開始の申立がなければ海難事件の審判はできない(法第三五条)。しかし、理事官が海難の事実を示して審判開始の申立をすれば、審判庁はそれだけで事件の全般に亘り、職権審理主義の下に、海難原因解明裁決ができ、その原因がたとえば人の故意又は過失によつて発生したものかどうかも、自由な見解をもつて判定して違法はないのである(法第三三条第二項、第四条第一項、第三条第一号参照)。そしてここに「人の故意又は過失」というのは必ずしも受審人や指定海難関係人の故意又は過失に限られてはいないのである。ただこの場合にその人が海技従事者又は水先人であつても、理事官がその人を受審人として審判を請求しない限り、その人に対して懲戒裁決はできないし、その人が海技従事者又は水先人以外の者であるときは、理事官がその人を指定海難関係人として審判を請求しない限り、これに勧告裁決をすることが許されない(法第三四条、法施行規則第二七条、法第四条第二項、第三項参照)。海難審判法における不告不理の原則は、右に述べた以上の意味はないものである。

又海難審判庁の裁決は、それが懲戒裁決のように行政処分であるときは懲戒に付する旨の裁決主文のみが行政処分であつて、その理由は、行政処分の内容ではないから、裁決主文のみ法的効果を生ずることは、原判決のいう通りであるが、それが本件のように行政処分的性格をもたない原因解明裁決である場合には主文と理由とを区別して記載しても、その間何等的効果を異にするものがあるのではなく、それは、共に原因取調の結果についての行政庁の意見であり、主文は裁決をもつてする結論なのである。海難審判法には主文に関する規定はないが旧海員懲戒法時代からの長い慣習上「結論」と表示しないで「主文」と表示している。即ち裁決書の「主文」は審判法上の実名では「結論」でありそれが裁決なのである。そしてその裁決に理由を付するのである(法第四二条)。であるから、海難審判庁が海難事件を審理した結果、その海難の原因が受審人、指定海難関係人以外の者の故意又は過失であるとの判断に到達したときは、結論即ち主文でそのことを明かにしなければならないのであり、それを回避することは許されない。理由は裁決即ち結論に付するものであるから、海難原因についてはこれを主文で表明しない限り、いくらこれを理由中に書いても裁決をもつて原因を明かにしたことにはならないのである(法第四条第一項参照)。そうすると、海難審判における不告不理の原則からして、海難原因を受審人、指定海難関係人以外の第三者の過失とする判断は、裁決の理由においてするは差支えないが、その主文においてすることを違法とする原審の判示は全く理由のないものであることは疑がない。

(二) 次に本件裁決をするのに、上告人が被上告人に答弁又は弁解の機会を与えなかつたことは、果して憲法上の要請や争訟の条理に反するものであろうか。原判決は、それが裁決主文に掲げられる限りにおいて肯定する。特定人に刑罰権を行使する刑事事件、特定人間の法律関係の争の裁断自体を目的とする民事事件の判決についてはそういうこともいえよう。しかし、他面一定の目的のために行われる行政処分、たとえば営業の許可や免許の取消や公務員の免職処分などについてみると、それは個人の権利義務に大きな影響を及ぼすものではあるが、特に法令でその処分手続なり争訟手続を定めて被処分者に答弁又は弁解の機会を設けていない限り、その弁解を聞かずして処分を行つても違法でないことは言をまたない。海難審判法における懲戒裁決は、海難防止の目的からなされる船員、水先人等に対する営業の禁止又は停止の実質を有するもので、正に右のような場合の一例であつて、法律の規定(法第三九条、第五二条参照)があつてはじめて事件の当事者として答弁の機会が与えられるのであつて、争訟の条理や憲法上の要請からではない。そうであるとすれば、いわんや勧告裁決や原因解明裁決のように、行政処分的性格を有しないものに至つては、行政庁がかような行為をするに当り、事実利害を有する者に弁明の機会を与えなくても違法といえないのは当然であり、法施行規則が勧告裁決について指定海難関係人に弁明の機会を与えているからといつて、原因解明裁決において利害関係者を同様に取り扱わない限り、違法であると論断することはできないのである。本件裁決の手続にかような弁明の機会を保障する法規のない以上原判決の論旨は、全く根拠のないものである。これを要するに、原判決が上告人の裁決によつて被上告人の権利の侵害があつたように判示したのは、全く海難審判法の構造、本件裁決の性質の誤解によるものであつて、正に法律の解釈適用を誤つたものとしてこの点においても破毀せられるべきものといわなければならない。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例